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熊本家庭裁判所八代支部 昭和52年(少ハ)1号 決定

少年 F・M(昭三一・四・一〇生)

主文

本人を昭和五二年七月三一日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

本人は、昭和五一年四月六日当裁判所で中等少年院送致の決定を受け、同月九日中津少年学院に収容されたものであるが、昭和五二年四月五日をもつて収容期間が満了となるところ、本人は、入院当初においてはまともに職員の方を見て話すことが殆んどなく、予科の訓練課程においては他生の会話に参加することもないまま完全に集団から孤立し、集団生活不適応から「逃げたい」と口走つたり、奇異な行動が目立つなど、同僚及び職員と心を通じることがなく、その後昭和五一年七月一九日窯業科に編入し、生活目標として〈1〉何事も自分から進んで行い、勤労精神を養う、〈2〉言動を活発にし、社交性を養う、の二項目を設定して指導に努めたが、積極性は全くみられず、窯業関係の技術の進歩も遅々としており、依然として日誌に「ここから逃げたい」などと記入するなど集団生活から逃避する状態であつて、生活目標に対する進歩の度合いもその評価はC段階(最下位)に止まつている。また受入態勢についてみると、実家は実父、義母の生活保護家庭であつて、経済的にも不安定であり、その保護能力はないに等しく、最近になつて熊本市内の工務店が出院後本人を大工見習として雇い入れることを承諾しているが、このまま就職させても、本人が対人適応能力を欠き、怠惰心が矯正されておらず、忍耐心もないところから、すぐに飛び出す可能性が強い。以上のとおり、本人の現状及び家庭の受入状況等からすると、このまま満期で退院させても再非行のおそれが十分に考えられ、今後引続き本人に対し教育訓練を施し、社会性、勤労の尊さ等を体得させたのちに社会復帰を図るべきであり、そのためには満期後九か月の院内教育期間と出院後の安定した社会生活を送らせるための三か月の保護観察期間とが必要であり、合計一二か月間の収容継続を認められるよう申請に及ぶ。

(当裁判所の判断)

一  少年院収容までの経過

本人は、生来の知恵遅れのため、一年遅れて小学校に入学し、別に問題行動もなく経過して中学校に入学したが、同二年生のころになつて窃盗の非行を行い、昭和四六年二月二三日当裁判所において不処分決定を受け、その後家族ともども横浜市に転居し、同市内の中学校を卒業してポリエチレン工場に就職したが、五ヵ月程で退職して自衛隊に入隊したものの、訓練がきついことを理由にわずか二か月で除隊し、昭和四九年九月ごろ家族とともに熊本県葦北郡○○町に帰り、パチンコ店の店員などをしていた。しかし、昭和五〇年一〇月ごろ家出して北九州市の小倉に赴き、工員などをして働いたのち、再び熊本市に帰り、同市内で成人の共犯と窃盗を行い、昭和五一年一月三〇日当裁判所で保護観察の決定を受けたところ、保護観察に付されたのちも、希望する職場への就職ができなかつたため、勤労意欲を失い、自宅において無為徒食するうち、上記決定後わずか二週間余りののちに再び窃盗、同未遂の非行を繰り返えし、昭和五一年四月六日当裁判所で中等少年院送致の決定を受けるところとなり、同月九日中津少年院に収容されるに至つたものである。

二  本人の性格、行動傾向など

本人は、精神薄弱で知的能力も低いうえに、自信がないところから口数も少なく、控え目で、人前で活発に動いたり、自己表現を行う意欲に乏しく、また動作も緩慢であつて、内心には社交意欲を持つていても、周囲との対人関係の形成及びその持続が極めて困難な状況にあり、結局は周囲から孤立し、一人の方が気楽であるとの考えに陥つて、単独の気ままな行動をとりやすい。反面対人関係のまずさからくるコンプレックスはなく、いわゆる世間ずれといつたものは身に付けていないところから、根は真面目で素直であつて、未だ純朴さを失つてはいない。

しかし、あまりに能力及び性格上の問題点が大きく、仕事に対する根気のなさや対人適応能力の欠如が非行の主たる要因をなしていることが指摘され、これら負因の改善を行うことが収容保護の目的とされるところであつた。

三  少年院における処遇の経過

本人は、昭和五一年四月九日中津少年院入院と同時に二級下(D)に編入され、七月一九日窯業科に本科編入のうえ、八月一日二級下(C)に進級したが、額の毛抜きを行つたため、生活態度不良ということで同月二八日院長訓戒を受け、一一月一日二級上(B)、昭和五二年一月一日二級上(A)にそれぞれ進級し、その後三月一日一級下(D)に進級して現在に至つているものであるが、この間本人は、上記申請の要旨において指摘されたような経過を辿つていることが認められ、現在においても、院内生活面での積極性には乏しく、困難や肉体疲労を伴う仕事からの逃避傾向が見受けられるのみならず、集団からは孤立していて、自ら友人を求め共同生活を楽しむといつた姿勢はないような状態にあるなど、院内での団体生活には必ずしも適応できていないことを窺うことができ、仕事に対する根気強さ、対人適応状況という面のみを見れば、その改善の効果も未だしの感を深くするような現況にある。

四  出院後の受入態勢

本人の実父及び継母は病身であつて、現在通院の必要があるため満足な仕事はしておらず、生活保護を受給して何とか生活を維持している状態であるところから、その保護能力には多くを期待できないけれども、保護観察所の努力によつて、本人の出院後の就職先として熊本市内の工務店が決定しており、同店の雇主は、過去において少年院出院者を雇い入れた経験を有し、調査官が本件調査の過程で本人の能力、性格等を詳しく説明した際にも、受入意思は固く、できる限りの指導監督を行うことを誓つているなど、出院後の受入態勢は一応整つているものと思われる。

五  収容継続の必要性

以上のとおり、本人は、勤労意欲、仕事に対する根気及び対人適応能力などの面では依然として不安を抱かざるを得ない現状にあるので、収容継続の必要性は認められるが、勤労意欲、根気のなさといつた面は、怠惰心の現われというより、自己能力の限界に対する自覚から、自分の出来ないことについては無理に背伸びをしないとする姿勢そのものといつてよく、本人の職業補導における院側の評価の中には「実習に対してはかなり熱心で意欲的な態度で接している」との見方もあることから窺えるように、自分の出来る仕事については、それなりに努力を惜しまないところもあるのであつて、全体として消極的であるとの印象は、むしろ淡々としたマイペースの生活態度を維持していることの現われと考えることができる。また、対人適応能力が欠如しているといつても、本人の場合は、他者との関係で常に何らかのトラブルを伴うといつた類のそれではなく、能力が低いために、人前でスムースに自己表現ができないところからくる集団からの孤立化だけであつて、入院以来これまで他の院生との間ではさしたる問題を起こしていないことが、そのことをよく物語つているといつても過言ではない。

本人は、これまで単独室入居を摯拗に希望していたようであるが、これは無事故でさえあれば早く出院できるとの考えが基盤にあつて、事故発生の危険が多の他生との交わりを努めて避けようとする姿勢の現われであると考えることができ、こうした姿勢は、本人の場合、少年院という特殊な社会の中で、かえつて助長されている面がないとはいえないし、少年院入院前の鑑別結果でも指摘されている本人の素直さ、真面目さ、純朴さといつた性格特性が、現在においても何ら損われていないことは評価されるべきであろう。したがつて、本人の能力等に鑑みても、上記の問題点が長期間の収容を経験すれば直ちに抜本的に改善されるというものではないこと、むしろこれまでの処遇経過からみて、非行性の除去という面では一応の成果が認められること、上記のとおり本人の出院後の受入態勢が一応整つていて、雇主も少年院出院者に対して理解があること、その他本人の年齢等を考慮すると、本人を昭和五二年七月三一日まで継続して中等少年院に収容するのが相当であると思料する。

よつて、少年院法一一条四項、少年審判規則五五条により主文のとおり決定する。

(裁判官 山口毅彦)

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